ギャンブルという枠を超えて、競馬は人々の心を深く揺さぶります。
人馬一体 という言葉もあるくらい、馬と人がともに走る事は、人間にとって特別な意味を持ちます。
なぜ、他の生き物ではなく、馬なのか?
そこにはやはり理由があります。
なぜ、馬なのか
馬は、本当に昔から、人間にとって
食料でもあり
武器でもあり
移動手段でもあり
財産でもあり
仲間でもあった
つまり、馬は、人類が「文明を、歴史をつくる」過程で、
最も長く、最も深く、判断と命を預け続けてきた生き物だったのです。
そう考えると、馬を見て、理由もなく胸が動くのは、不思議なことではないのかもしれません。
理由もなく、胸が動くということ
また、ある競馬ファンの方が、ジョッキーカメラの楽しみ方について教えてくれた事があります。
馬は、走らされているだけなのか
馬は 耳の動きで感情を表現する。
耳をよく騎手の方に動かしているのは、
騎手の意思を懸命にくみ取ろうとしている仕草
なのだと。
馬の健気さに胸を打たれると同時に、
それほど騎手に応えようとするという事は、
ただ「走らされている」だけではないのかもしれない。
人馬一体 という言葉は、
人間側から見た、ただ都合の良い美しい言葉、というだけではなく、
もしかしたら、本当にあることなのかもしれない
と感じました。
人馬一体は、比喩なのか
競馬に、ドラマがあるように見えるのは、ストーリーが作られているからではなく、
人間の意思と、馬の意思らしきものが、一瞬だけ重なって見える瞬間が、確かにあるから。
種族を超えた意思の重なりを、感じざるをえない瞬間が、古来から続く、馬と人間との強い関わりが途切れていない事を想起させ、惹きつけて離さないのでしょう。
私が、競馬に惹かれた理由
人馬一体 について。
人と馬が確かに意思疎通を行い、共に走っているのかもしれない
と、はじめに私に思わせてくれた馬は、ゴールドシップです。
なぜ、数あるギャンブルの中で、競馬に惹かれたのか。なぜ、ゴールドシップなのか。
後編へ続きます。
